自分について考える~その14~
- このブログの説明は、過去記事『おんおみおの図』に書いてあります。
今回の図について
今回は、図を1種類 載せています。
- おんおみおと、他人の言葉
という図を載せています。
他人の言葉に、拒絶反応を示す おんおみお
私は時に、他人の言葉に 拒絶反応を示すことがあります。
他人の言葉というのは、例えば、「自分の経験したことのない経験をした人の、経験談」、「自分が持ったことのない考えを持つ人の、意見」、「自分とは違った意見を持った人の、意見」などといったものです。
なぜ、拒絶反応を示すのか考えてみたのが、下の図です。
私が、「自分の経験したことのない経験をした人の、経験談」に拒絶反応を示すのはなぜなんだろう、と考えてみました。
その結果、私は、「他人の経験と、自分の経験」という線引きが、ハッキリと引けていないのではないか、という考えに至りました。
「他人の経験は、他人のものだ」、「自分には、自分の経験がある」という考えをハッキリと持てていないから、他人の経験談が私の頭の中に流れ込んできて、自分の経験をのみこみ、更には自分の経験が押し流されていく感覚になるのではないかと考えました。
そういった感覚が、「不安」という感情になって、「不安」が拒絶反応を示させているのではないかと、私は思います。
次に、私が「自分が持ったことのない考えを持つ人の、意見」に拒絶反応を示すのはなぜなんだろう、と考えてみました。
その結果、「他人の考えは正しくて、自分の考えは間違っている」という思い込みが、私の中にあるのではないか、と感じるようになりました。
「他人の考えは正しくて、自分の考えは間違っている」のならば、私は、自分の考えなど持たずに、他人の意見を鵜呑みにして生きていくことになります。
しかし、私は、様々なことに関して自分なりに考えたり、「なぜだろう?」と疑問を持ったりすることが好きです。
この、「自分の好きなこと」を自分で否定する、あるいは尊重しない考え(「他人の考えは正しくて、自分の考えは間違っている」)が自分の中に存在するので、頭の中が混乱し、「他人の意見を聞くことへの拒絶反応」につながるのではないか、と考えました。
最後に、私が「自分とは違った意見を持った人の、意見」に拒絶反応を示すのはなぜなんだろう、と考えてみました。
その結果、「物事を、正しいか間違いで判断しようとする考え」、そして先ほども書いた、「他人の考えは正しくて、自分の考えは間違っている」という思い込みが合わさって、拒絶反応を招いているのではないかと考えました。
様々なことについて考えたり、疑問を持つという、「自分の好きなこと」を自分で尊重しない考え(「他人の考えは正しくて、自分の考えは間違っている」)が、この場面でも自分をつらくさせているのだと思います。
加えて、「物事を、正しいか間違いで判断しようとする考え」が、「他人の意見を尊重する」ということを、しにくくしているのではないかとも思います。
自分の意見、そして他人の意見を尊重しないまま、人間関係を築いていくことは、自分にとってもつらいことだし、他人にとってもやりづらいことだろうなと考えました。
この記事で書いてきた、私の中の拒絶反応を、どう捉えたらいいか、そして、自分や他人の意見を尊重して、他人の意見を聞いてみたら、どうなるだろうかと考えて描いたのが、下の図たちになります。
自分の中の拒絶反応も、自分の一部なので、否定したり、「拒絶反応を示してはいけない」と思ったりはしないように心がけます。
拒絶反応を示したのなら、「なぜ拒絶反応を示したのだろう」と、自分の頭の中について整理してみようと思いました。
私は、自分の考えを紙に書き出すと、頭の整理がしやすいので、自分の拒絶反応について、紙に書き出して整理していこうと思います。
他人の意見に対して、疑問に思ったり、発見があったり、「私の意見とは違うな」と思ったときにも、自分の頭の整理をしながら、他人の意見を紙に書き出してみると、自分の考えが広がったり、考えの選択肢や視点が増えたりするかもしれないと考えました。
自分が他人の意見に対して疑問に思ったことは、本人に質問してみてもいいかもしれません。
今回はここまで
今回は、図の枚数が多かったです。